| GODセジョン
キム・セジョン(김세정)
1996年生まれ。2014年第1回Jellyfish公開オーディションで3000:1の競争率を勝ち抜き練習生生活を始め、2016年5月オーディション番組プロデュース101にて最終11人に残り、I.O.Iのメンバーとして正式デビュー(練習生期間は2年3カ月)
同年6月、I.O.Iの活動と同じくして自身の所属事務所であるJellyfish初の女性アイドルグループgugudanのメンバーとしてもデビュー。
セジョンが高校生時代に手紙コンクールで入賞した際の母に宛てた手紙をもとに作られたソロデビュー曲꽃길(flowerWay)がオンラインチャートを総なめ。ZICOプロデュースということもあり爆発的ヒットを記録。
母子家庭で兄と3人家族で幼いころはとても貧しい生活だった。小学校のころは放送部で声優が夢だった。仁德院高校在学中に演劇部に所属しており、2013年青少年ミュージカルオーディションで合格した経歴も。演劇のトレーニングセンター(이앤티트레이닝센터)に通っていた。
2012年SBSオーディション番組Kpopstarシーズン2に参加し、YGのワイルドカードで保留。1次オーディション後、YGの施設で2週間のトレーニングを受ける。
| レコーディング中に号泣・・・私の中にいる”黒い子”
黒い子とは・・・セジョンが名付けた、これまでそむけてきた感情、傷、瞬間たちのこと。
2016年、セジョンにとって、とても大きすぎるものをもらった1年だった。そしていつもついて回る言葉は、”笑う子”、”ポジティブな子”だと。
しかし反対の言葉も同じくついてまわった。”笑った「ふり」をする人”、”たくらんでそうな人”
そんなときに思い出したシーンがある。
高2のある時、先生に ”セジョン、お前面白いか?間違ってると思わないのか、笑うな” と言われたのだ。真面目な状況だったこともあり、もちろん間違っていることはわかっていた。しかし、”いや、そうではなく・・・”と言ってから口角が震えて下がらない。次にどんな表情をしたらわからない。
≪私は笑う以外の表情を知らなかった≫
先生の指摘に、30分その場に立つしかなかったセジョンは、自分が笑うことしか知らなかったことに気付く。
幼い時から借金を抱えながらセジョンたちを育ててくれる母子家庭の環境はとても貧しく、セジョンは自分の家にほぼ1度もいたことがなかった。親戚や祖父の家を渡り歩いて、ようやく小さな家を借りることができた日、とても嬉しくて荷物をおろすのをやめて泣いたこともあった。
食堂、牛乳配達、塾講師などたくさんの仕事を掛け持ちし、熾烈な人生を送っていた母に、セジョンは幼心に感情表現を隠すようになった。辛いことを母に見せられなかった。
そうして、”黒い子”がセジョンの一部になった。
思春期に学校でグループを作るには2つの方法があって①秘密を何でも共有する ②陰口 だが、家族にも感情を言えないセジョンにはどちらも難しく、秘密を言えず口を閉ざした瞬間、友達は1人2人とセジョンのもとから去って行った。ルールである感情のギブアンドテイクを満たすことができなかったからだ。
セジョンの学生時代は独りでいる時間が多かった。
しかし、あの時と今の状況は大きく違う。そのきっかけは、レコーディングの最中に起きた。ボーカルトレーナーの先生がこう言う。
”とても愛しているからこそ、果てしないほどにごめんねって思ったことある?”
その瞬間、30代の母が浮かんだ。
30代の母と言えば、セジョン達を育てるためにそれは辛い時期を過ごしていただろう。”あなたたちをあきらめようとさえ思った”と、20歳くらいになったセジョンは母から聞かされた。
母がどれだけ辛かったのか想像はしていたものの、正面から受け取ることが怖くてそむけて知らないふりをしていた。
レコーディングをやめて、その母の重さを受け止めてから、想像もできないくらいに涙がいっぱい出て、思った。
”黒い子”を知っていながら見ないようにしていたが、
前向きに生きようとしたら、その痛みを受け入れるしかないのだと。
[ユ・ヒヨル:とても共感できる。認めようとしたくない姿があったら、そいつをしょっちゅう隠す。隠したら無くなっていくだろうと思うが、そいつはなくならない、自分だから。]
貧しかった時、本当に辛かったんだな、あの時恨んでた人だけど、私は恨んではいなかったんだな、と自分の感情を受け入れた。それからは自分の感情をばらしても恥ずかしくない理由ができて、これまで母から”愛しているよ”と言われてもそっけなく返していたセジョンがその日、自分から”愛してるよ”と送った時恥ずかしい感情がなかったのは、すべて受け入れたからだと彼女は言う。
人それぞれに”黒い子”がいると思うが、それを怖がらずに各自の方法で”黒い子”に向き合ってくれたらいいと思う、と。
| ”黒い子”を受け入れたあと、感情表現が正直に
まもなく解散を目前とするI.O.I(収録当時)
I.O.Iの活動中、最初は”黒い子”を受け入れられなかったせいで、傷つくかもしれないと極端にラインをひいて維持していた。
しかし、”黒い子”を受け入れてから、愛情をもっと表現したり、彼女たちのことをたくさん考える時間が増えた。解散の日を考えるとひとり泣くほどに。
視聴者とメンバーを思いながら歌い始めるも涙に言葉が詰まる。
| いつも持ち歩くメモ帳には
セジョンが普段から何か感じたことを書いておくノートも紹介された。